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村田勝志 現在 力道山 [時事]

村田勝志 現在 力道山殺傷事件の真相とは!?

力道山殺傷事件の真相とは。

村田勝志といえば力道山殺傷事件、これは昭和史、戦後史上最大の謎となっている。

改めて当時の記事をもとに迫ってみる。

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力道山

記事によると、

力道山は事件のあったその日、高砂親方(元親方・前田山)や若手レスラーらとともに

赤坂の高級料亭にて食事。ここですでに泥酔状態だったようだ。

そして夜の22時を過ぎ側近を率いて近くのナイトクラブ「ニューラテンクオーター」に行った。

ここに力道山を刺した村田勝志がいたのである。

そして事件は起こった。

ここからは村田勝志本人の取材や目撃者や関係者の証言から

事件の顛末が明らかになっています。


村田勝志はこの高級ナイトクラブ「ニューラテンクオーター」の用心棒だった。

村田勝志は以前から酒を飲んだ時の力道山の傍若無人な振る舞いを

腹に据えかねていたらしい。

しかし力道山は金持ちの上客だったので、けっこう控えめに対処していたとのこと。

あるとき、村田がトイレに行こうとした。

トイレの入り口付近で力道山が女性と話していた。(口説いていたと思われる)

村田がその横を通り抜けようとすると、

いきなり泥酔状態の力道山に、後ろから襟首を掴まれ、

「足を踏みやがって」と言われた。(村田勝志はしらふだった)

村田勝志は「踏んでない」と反論。

そこで泥酔状態の力道山と口論になった。

頭に血が上り、激高している力道山を威嚇するために、

村田勝志は懐から短刀(登山ナイフぐらいのやつ)をちらつかせた。

すると力道山は突然「わかった。仲直りしようじゃないか」と言ってきた。

だがしかし、そこは当時24歳で血気盛んだった村田勝志

プライド傷つけられた形となり、この和解を拒否。

その直後、力道山の鉄拳が村田の顔面に炸裂!

村田の体は吹っ飛んだ。

壁に激突し、頭を打ちフラフラになっている。

その上、力道山村田に馬乗りになり殴打を繰り返した..

村田力道山に殺されそうになっていると命の危険を感じた。

そこでとっさに下から短刀で力道山の下腹部を刺した。

力道山は巨漢で体重が重たかったため、

短刀は根元まで刺さった。

しかし出血はあまりしなかったらしい。

そのまま村田勝志は短刀をしまい、逃走した。

力道山はそのあとも「大丈夫、大丈夫」と言って、飲みなおしたらしいです。

その後出血が酷くなったので近くの山王病院で応急処置を受けた。

そして帰宅したとのこと。さすがに強いですね。

事件から2日後、力道山の腹部の症状が悪化。

そこで数十針を縫う大手術をしている。これは無事成功したらしい。

その一週間後くらいに腹膜炎から腸閉塞を併発。

この手術も成功したららしいのだが、

その6時間後の午後9時過ぎに死亡したのだった。

1963年12月15日、力道山39歳であった。。


症状が悪化した原因は諸説あり、医療ミスや、

病室に大勢人を呼んで寿司や酒など飲んだり食べたりしたことで、

症状が悪化し、突然死したなどと言われている。

現在は医療ミス説が有力だとか...

ここは戦後史上最大の謎となっています。

そして、力道山(当時39歳)をナイフで刺して死亡させたとして

懲役7年の実刑判決を受けていた当時暴力団組員の村田勝志元受刑者(74)が

東京都内の病院で9日ごろに死亡したとのこと。

病死とみられる。最近は糖尿病を患っていたらしいです。

これで事件の詳細や力道山直接の死因はハッキリせぬままでしょうか。


力道山(りきどうざん)1924年11月14日~1963年12月15日)は

日本のプロレスラー。本名・戸籍名・日本名:百田 光浩(ももた みつひろ)

旧名・出生名・朝鮮名:金 信洛(キム・シルラク)

身長176cm(プロレス時代の公称身長は180cm)、体重116kg。

大相撲の力士出身で、そののち日本プロレス界の礎を築いた。

日本プロレス界の父と呼ばれ、絶大な人気を誇った。


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